A LIFE OF CONVICTION

人を尊び、
海を越える。

出光佐三
SAZO IDEMITSU · 1885–1981

宗像に生まれ、世界に目を向けた実業家。
その生涯から、私たちが学ぶこと。

NISSHO MARU II · 1953

海を越え、道を拓いた日章丸。

日章丸二世の船体を横から写した1953年の記録写真。右上は新田辰夫船長の肖像
日章丸(二世)/ 右上:新田辰夫船長写真:時事通信社『時事通信 日刊時事解説板』第2235号(1953年4月18日)。Wikimedia Commons掲載資料(パブリックドメイン)↗

1953年、イランから日本へ。日章丸二世による石油輸入は、海の向こうに新たな取引の道を拓いた挑戦でした。

FROM AKAMA TO THE WORLD

挑戦の中心には、
いつも人がいた。

出光興産の創業者・出光佐三が経営の原点とした「人間尊重」。働く人を大切にし、社会に役立つ仕事を目指す考え方は、事業の規模や時代を越えて、今も問いを投げかけます。

1885

宗像・赤間から始まった人生。

出光佐三は1885年8月22日、現在の福岡県宗像市赤間に生まれました。藍問屋を営む家に育ち、福岡商業学校、神戸高等商業学校へ進学。郷里で育まれた自立の精神は、その後の事業家としての歩みにつながっていきます。

1911 — 1914

門司から、東アジアへ。

1911年、門司で出光商会を創業。石油販売から事業を始め、1914年には当時の満州(中国東北部)で販路を開拓しました。その後、朝鮮半島や台湾、中国各地へと事業を広げていきます。

1945 — 1953

困難の中で、道を拓く。

戦後、海外拠点を失った出光は、残油回収などの事業を通じて再出発します。1953年には日章丸によるイランからの石油輸入を実現。独自の取引経路を切り拓こうとした挑戦として知られています。

MUNAKATA

郷里の文化を、次の世代へ。

事業と並行して、宗像大社の復興や福岡教育大学の誘致にも力を尽くしました。1978年には宗像町名誉町民章を受章。1981年に生涯を閉じるまで、人と地域を大切にする姿勢を貫きました。

トップページへ戻る →